1913(大正2)年の設立以来、三浦エリアの伝道拠点として根づく逗子聖ペテロ教会。
約110年に渡るこれまでのあゆみを紹介します。

†黎明期
集会のはじまり

 1907年当時、風光明媚な一漁村で、一種変わった別荘地であった逗子には、数多い外国人の別荘と海軍士官の住宅が立ち並ぶなか、英国人ラウダー未亡人とその使用人ピアス氏の家が、最初の伝道地としての家となった。
 ラウダー夫人(アメリカ・オランダ改革派教会の宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンの長女ジュリア・マリア・ブラウン)は、自宅で英語のバイブルクラスを開き、集会の中核となる人々を育て、横浜聖アンデレ教会より、毎週1日、H.B.ウォルトン司祭を招いて礼拝をするようになった。1911年東郷橋そばの家の2階を借り講義所とした。

†発展期
教会の設立

 1913年、セシル・ボーフラワー監督から教会設立を認可され、ウォルトン司祭は、S.P.G.宣教師社団から資金を仰ぎ、三浦郡逗子町浜田881番地(現在の逗子市逗子6-5-2)に土地を得て、2階建ての建物を建てた。聖別式はセシル監督の司式により同年6月29日使徒聖ペテロ・使徒聖パウロの日に行われた。

†復興期
関東大震災や戦後の復興

 1923年、関東大震災により建物は大きく破壊され、その2年後の1925年、林五郎伝道師がその設計にあたり、第2代聖堂として現在の聖堂が建てられ、9月9日サムエル・ヘーズレット監督によって聖別式が行われた。
 その後、1928年、鎌倉に新たに教会(鎌倉町小町14番地)が設立され、当教会から多数の信徒の移籍が行われた。1945年、終戦後捕われの身から解放された須貝止主教を迎え、当教会は主教座聖堂となり、戦後復興の拠点の役割を担った。

†現在

 1971年、併設されていた聖ペテロ幼稚園(1949年開園)が閉園した。1974年には鎌倉聖ミカエル教会との協働により材木座霊園聖公会墓地を取得した。
 1980年頃から三浦半島地区に教会をという意味を持ち「三浦伝道所」の看板を掲げ、英語教室や土曜学校が盛んに行われていた。